昨日のジャスミン、今日のダージリン。

日々のエッセイのようなもの。

2023/01/15

山に帰ることにした

 

 

ぼくは今年大学を卒業する。

4年前に特にこだわりもなく選んで何となく入学した大学を、2ヶ月後には多分何となく卒業するのだろう。

 

「食いっぱぐれないから」「これからの世の中ぜったいに役立つから」と言われて入学したのは情報科だった。そこで僕は4年間コンピュータのことをたくさん勉強した。使うのは難しいけど便利な道具だと思った。

 

だけど4年間勉強して、残ったのはただの虚しさだった。

 

振り返ると、人間が発明した便利な箱の使い方を勉強し続けた、そんな4年間だった。

そしてこの調子で2年間追加で勉強して、そのまま就職すると高い給料で働けるらしい。もちろん仕事の内容は、箱を便利に使う道具を作って売ることだ。

 

虚しさの正体ははっきりとはわからないが、6500万年前に誕生した類人猿からホモ=サピエンスまで脈々と受け継がれてきた知恵や文化、心の拠り所としていた大いなる自然からあまりにもかけ離れた世界だったからなのかもしれない。

 

そんな虚しさを抱えながら、僕は山に帰る。

 

 

 

僕は実家が好きだ。全部木で出来ていて、古い。古いものは良い。何でかはわからないが、長く残っているものにはそれだけの風格が備わっている。

 

そんな実家には去年の夏まで祖母が住んでいたが、いまは母親と高校生の妹だけになってしまった。そして来年その妹が高校を卒業すると、その家はもぬけの殻になってしまうそうだ。

 

以前聞いた話だが、家は人が誰も住まなくなった途端にダメになるそうだ。普段生活していて意識的に手入れをするようなことは無くても、例えば扉を開けたり閉めたりすること、人間が移動することで空気が動くこと、つまり人間がそこで暮らしていること自体が手入れなのだろう。

 

話が逸れたが、要するにその家は、このままだと来年ダメになる。その家を守るということが僕の今年のミッションなのだ。

 

書きながら思った。この4年間は何かを失ったというより、忘れていた本当に大事なことに気づいたような、そんな4年間だったのかもしれない。

 

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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

大切なものは失ってから気付くという残酷な言葉が有名ですが、この家の話に限っては運良く失う前に気付けたような気がしています。