2023/01/26
風の行く先は何処
風の始まりを訪れたい。
そしてそこから風に乗って、風の終わりまで旅をしたい。
風の旅は木々の間をすり抜け、落ち葉を巻き上げ、ベランダの洗濯物を揺らして進む。
たまに自転車乗りから「向かい風なんてあっちいけ」などと暴言を吐かれることもあるが、すぐに通り過ぎてしまうのでどうってことないのさ。
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
明日はとある用事で、初めて横浜に行きます。
2023/01/25
日記
今年から始めたこのブログは、特に何かテーマを持って始めたわけではなくて、新年だし何か始めようと思って手を出したのがブログだったという。
意外とブログはそれまで一度もやったことがなかったので、丁度よいと思って始めたのです。
そうして気付けばもう1月の終わりが近付き、ブログを始めてからそろそろ1ヶ月経つらしく。記事を書くことが苦になることはなくて、仕事が行き詰まってカフェに行った時に、食事をしながら何となく書く、みたいな感じでゆるく続けられました。
あ、あーっ!あぶないあぶない。
ブログ始めて1ヶ月記念の振り返り記事みたいな、「君は何のために文章を書いているの?」と不思議になるような、そんな記事を書くつもりじゃありませんでした(汗
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今日の本題は、ブログも良いけど、紙の日記も捨て難いというお話です。
先ほどブログは今年始めて手を出したと書きましたが、去年までは紙の日記をずっとやっていました。
今年ブログを始めてからも、紙の日記は同じペースで続けています。
紙の日記を続けているのは、紙の日記は日々書き積んでいくことで世界にひとつだけの自分だけの物語本が作られていくようで、さらにそれが「紙の束」という実体を持って増えていくのが自分にとって嬉しいからです。
しかし、なんせブログにも日記のようなことを書いているので、1日に2回日記を書いているような状態で。なにか他にもっと楽しめるやり方は無いかな、と考えるようになりました。
そこで思いついたことが、ブログでしか出来ない、いわば「マルチメディア日記」のようなものを作る、ということでした。
ただ文章を書くだけなら紙の日記でも出来ますが、紙の日記では音声や映像は記録できない、ということに気がついたのです。
そういうこともあって昨日は、文章に映像を付けて、映像の内容と文章のテーマを統一した記事を書いてみました。
これが意外と良くて、文章に締まりが出るといいますか、映像が付くことでただの日記が、ある種の作品として成立しているような。
これからはそんな感じでブログを続けていこうと思います、というお話でした。
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
寒い日々が続きますが(10年に1度の最強寒波らしい...)くれぐれも風邪を引かないように、暖かくしてお過ごしください。
2023/01/24
凍り雨
今日はあまりにも寒いので雨すらも凍ってしまったようだ
雪というのは何か幻想的なイメージを持つものだと思っていたのだが、あまりにも風が強いためか幻想なんてものとはかけ離れた様子であった。
人間だって鳥だってそうであるように、雪にだって激しい雪とか穏やかな雪とか、色々あってもおかしくないと、そう思うことにした。
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
ただ寒くて辛い思いをするだけなのは嫌なので、雪が降っている時こそできる何か楽しいことを探しています。
2023/01/23
助けりゃ良いって話じゃない
人が困っていると感じたらすぐに助けの手を差し伸べるべきだと、そう思っていた。
昨日まで。
しかしふと、そうとは限らないよな、むしろ助けることで人を困らせる場合もあるということに気がついた。
大事なのは、自分で勝手に判断しないことだ。
相手が「助けてほしい」といったら助ける。
逆に「助けてほしい」と意思表示がない限りは助けるべきではない場合が多い。
みんながそうであるように、人は困ったら助けを求める動物だ。
遠慮なんてものは大したことない時にだけ生まれるもので、本当に困ったら遠慮なんてしている暇はないよね。
本当に困ったら助けを呼ぶし、別に自分だけで何とかなりそうな時は遠慮して助けは呼ばない。そして呼ばなくても何とかなってしまう。人間の直感というやつです。
つまり、「助けてほしい」と言わない限り人は助けを求めていない。
こうして書くと何だか当たり前のようなことに見えるけれど、今の世の中はそんなことに気付けないくらいに「助けることこそが正義」な世の中なのかもしれない。
ふと、「それって人間を弱者と決めつけた差別なんじゃない?」と思ったりする。
「助けてほしい」って言ってないのに無理に助けようとされる人は、似たような無力感を感じるだろうというのは容易に理解できるから、あながち間違っていないのかもしれない。
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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
迷った時は、とりあえず「手伝いましょうか?」と声をかけるのがオススメです。
2023/01/22
記憶
ふとしたきっかけで、朝ごはんを食べながら記憶について考えた。
僕には悩みがあって、それは小さい頃の記憶が全然ないということである。
記憶は誰もが平等に与えられた時間の中で積み上げられた、いわばその時を生きた証のようなものだと考える。
すると記憶がないことは、何か大事なものを失くしてしまったような感じがしてしまって、だけど取り戻すことなんて不可能だとわかっているので、辛い。
忘れてしまうのは何故なのだろうと考える。
夢だ。
目が覚めるとすぐに忘れてしまう夢のように、記憶は時間が経つと忘れられてしまうと言う意味で、人生は長い夢を見ているようなことか。
人生における「目が覚める」は、歳をとったり人と出会ったりして過去の自分とは違う価値観を得ることか。
短い夢をたくさん見ることと、限られた数の長い夢を見ること、目が覚めた時に「いい夢だった」と思えるのはどちらか。
大丈夫、まだ時間はたくさんある。
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
記憶というものは不思議です。
2023/01/21
今から飲み会なので今日は記事書けません
もし本当に書けなくても、この1文を書くか書かないかは将来大きな違いになるかもしれない、と思って書きました。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。また明日。
2023/01/19
満ち足りた1日
今日は朝8時に目覚めた。
白湯を飲んで、お米の早炊きスイッチを押して、待っている間にシャワーを浴びた。
髪を乾かしている間にお米が炊けて、塩茹でしたそら豆の皮を向いて炊き立てのお米に混ぜ込んだ。
お米の中でそら豆を温めている間に、人参としめじと豚肉の味噌汁を作った。
一汁一菜の理想的な朝ごはん。
いつもならご飯を食べて歯磨きをした後すぐに家を出発するのだが、今日は研究室が終始研究の発表で使われて昼まで入室できないので、歯磨きをした後はお香を焚いて読書をした。今村夏子の『あひる』を読み進めた。
12時頃に家を出発した。
いつも通る道は、朝8時台とは違って、お昼時のサラリーマンや荷物を運ぶ定食屋のお兄さんなど色々な人がいて面白い。
13時からリモートのアルバイトで、今日はミーティングが14時から16時まであってそれで勤務が終わりだった。
その後、研究を少し進めて家に帰った。
夜はナイトシャマラン監督の『アンブレイカブル』を見た。
主人公の警備員と、画廊のオーナーとの対比構造が素晴らしかった。
直近の目標として、ナイトシャマラン作品を全て見ることが新たに増えた。
映画を見終えた後は、久しぶりに母親と通話をした。
特に目的があって電話した訳じゃ無かったので、最近の映画の話をして、話題が尽きたので切った。
映画の話は割と乗り気だが、それ以外の話になると電話越しに興味のなさが伝わってくるので、いつも後味が悪くなって、そのたびに「話すことがない時は電話しないようにしよう」と思うのである。
電話を終えて、今日のブログを書いていなかったことを思い出し、今書いている。
そういえば昨日の終わりに「明日からは面白い記事を書く」なんて言ってたっけ。
さいきん右の耳の穴が高頻度で痒くなる謎の現象について、執筆中ですので、今しばらくお待ちください。(面白い記事になる気はあまりしないですが)
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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
昨日おとといは気分的にかなり沈んでいた自覚があるのですが、今日あたりから段々と戻ってきた気がして嬉しいです。