昨日のジャスミン、今日のダージリン。

日々のエッセイのようなもの。

2023/01/18

嫌なことが溜まったので吐き出します。キモい男の話です。

 

 

 

そいつは自分で企画した飲み会で、財布を持ってこずにお金を踏み倒します。

 

自分からラーメンに誘っておいて財布を持って来ず、今度返すわといってまだ返して貰っていません。

 

たぶんこれを本人に直接言ったら「忘れてた、教えてくれればいいのに」と言うでしょうが、人に借りたことを忘れた時点でキモいです。

 

 

 

そいつは飲み会で人に酒を煽ります。

 

男が酔い潰れたら床に寝かせて放置しますが、女性が酔い潰れたら我れ先にその子に近づいて背中をさすり始めます。酒を煽った張本人のくせに、そんなことは知らん顔でその子に「大丈夫?」とか言い出します。

 

このあいだは女性が戻してしまって服が汚れてしまったのを、何でか服を脱がせて自分の服を代わりに着せるなんていう最高クラスに気持ちの悪いことをしていました。ポイントは、その女性に酒を煽った張本人であると言う点です。普通にセクハラです。痴漢男です。人として最低です。

 

その癖にあたかも自分は良いことしてますみたいな感じで、周りの人に強い口調で指示を出します。「酔ってない人は早く帰ってもらったほうが良いです」とか「何すれば良いかわかんない人は帰ってもらうのが1番助かる」とか。その状況になったのはお前のせいだと言うのに。

 

翌日、そいつは「なんも覚えてないわ」と酒を言い訳に自分の最低な行為を無かったことにするような態度を取りましたが、僕は一生忘れないであいつの顔を見るたびに思い出します。

 

 

 

またそいつはこのあいだ、部活の練習で僕が僕以外みんな女性の組に偶然割り振られた時に、僕が聞いていないところで「あいつのところ、あいつ以外みんな女子じゃん」なんていう言ったところで何も起きない、ただ性別という観点で僕を蔑むようなことを言いました。本当に嫌いです。

 

もしかしたら彼はその中に好きな女の子がいて、僕のことを羨ましいと思ったのかもしれません。そうでない限りわざわざ意識を向けるはずがありませんから。こんなことをするのは小学生までだと思っていたので、大学生もかなり上の歳の人にこんなことをされて絶望しました。オワってる。

 

 

 

僕はそんな彼のことが大嫌いなので、そういうことがある度に、あんな風な人間には死んでもなりたくないと心に誓う機会を得ます。彼はいわゆる一般的な男性だとしたら、私は男性らしさの波に抗い続けたいと思います。もし彼がいなかったら自分は何も意識せず気付いたら彼のようなキモい人間になっていたかもしれないと思うと、ほんのちょっと、塩一粒程度の感謝が生まれます。

 

 

 

こう言う時には「どうして男はそうなんだろうか会議」を心の処方箋として読むことにしています。今晩も読み直して寝ることにします。

 

 

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今日も読んで頂いた方には、愚痴を聞かせてしまって本当に申し訳ない気持ちです。明日は何か面白いことを書けるように今日はちゃんと寝ます。

 

2023/01/17

なんだか身体に力が入らない。


なんかこう湧き出てくるものがないというか、明日への希望がない、その場しのぎで生きている感じがする。

未来のことなんて考えずただ今幸せならそれで良いと、カロリーを気にせずに食べたいものをお腹いっぱいになるまで食べ続ける。

 

 

どうしようもないので、明日温泉に入りに行こうかな。いちど全てリセットしないとどうにもならない気がしている。そうやって「あしたは温泉に行くぞ!」と明確なプランを持つことで日常にハリが出る効果もある気がする。

ここ数日、記事を書いていても何だか面白くない。「今日はいい記事が書けたぞ」という気持ちになれない。

 

 

燃え尽き状態なんだろうな。特に何か成し遂げた訳ではないけど。
燃え尽きなくても、燃え尽きることなんてあるんだな。

まあ生きてりゃそういう日もあるよね、と思って今日は早めに布団に入ろう。映画を見たり本を読んだりして、何かやった感を出さなくてもいいから。今日のことはもう全て忘れて寝て、明日にオールインしよう。

 

 

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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

文章に起こすことがなければ、こうして何か起きる前に自分の不調に気付けることは無かったなと、ありがたく思います。

2023/01/16

はぁ、ついに日を跨いでしまった。現在、卒業論文執筆の真っ只中。

 

ただ割と余裕はあるので、このまま心に余裕を保ちながらすんなり終わらせるのが目標です。

 

それはさておき、先週末の土曜日に映画館で映画を2本見ました。RRRと、そばかす。

 

RRRはIMAXで復活上映が始まったので。行ってみたらほぼ満席状態で、感想は言うまでもないです。評判通りの完成度で、インドへの興味が掘り起こされました。

 

そばかすは、県内でまだ1ヶ所だけ上映している映画館があって、もうすぐ上映終了とのことだったのでみに行きました。こちらもRRRに負けず劣らず良い映画でした。世界のどこかにカスミのような人間がいると思うだけで、生きていく気力が湧いてくる。そんな映画でした。

 

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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

どんなに忙しくても、寝る前に本を読む習慣だけは続けて、世間に飲み込まれないように。

2023/01/15

山に帰ることにした

 

 

ぼくは今年大学を卒業する。

4年前に特にこだわりもなく選んで何となく入学した大学を、2ヶ月後には多分何となく卒業するのだろう。

 

「食いっぱぐれないから」「これからの世の中ぜったいに役立つから」と言われて入学したのは情報科だった。そこで僕は4年間コンピュータのことをたくさん勉強した。使うのは難しいけど便利な道具だと思った。

 

だけど4年間勉強して、残ったのはただの虚しさだった。

 

振り返ると、人間が発明した便利な箱の使い方を勉強し続けた、そんな4年間だった。

そしてこの調子で2年間追加で勉強して、そのまま就職すると高い給料で働けるらしい。もちろん仕事の内容は、箱を便利に使う道具を作って売ることだ。

 

虚しさの正体ははっきりとはわからないが、6500万年前に誕生した類人猿からホモ=サピエンスまで脈々と受け継がれてきた知恵や文化、心の拠り所としていた大いなる自然からあまりにもかけ離れた世界だったからなのかもしれない。

 

そんな虚しさを抱えながら、僕は山に帰る。

 

 

 

僕は実家が好きだ。全部木で出来ていて、古い。古いものは良い。何でかはわからないが、長く残っているものにはそれだけの風格が備わっている。

 

そんな実家には去年の夏まで祖母が住んでいたが、いまは母親と高校生の妹だけになってしまった。そして来年その妹が高校を卒業すると、その家はもぬけの殻になってしまうそうだ。

 

以前聞いた話だが、家は人が誰も住まなくなった途端にダメになるそうだ。普段生活していて意識的に手入れをするようなことは無くても、例えば扉を開けたり閉めたりすること、人間が移動することで空気が動くこと、つまり人間がそこで暮らしていること自体が手入れなのだろう。

 

話が逸れたが、要するにその家は、このままだと来年ダメになる。その家を守るということが僕の今年のミッションなのだ。

 

書きながら思った。この4年間は何かを失ったというより、忘れていた本当に大事なことに気づいたような、そんな4年間だったのかもしれない。

 

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今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

大切なものは失ってから気付くという残酷な言葉が有名ですが、この家の話に限っては運良く失う前に気付けたような気がしています。

 

2023/01/14

枠に当てはめないと気が済まない人たち

 

「それって要はこう言うことでしょ」と、すぐ既存の枠にはめて理解したつもりになることがある。

 

だけど世の中、というか人間は、そう単純じゃないということに最近気が付いた。

 

僕ができることは何か。それはただひとつ、その人という存在をありのままで受け入れることだけだ。そこに論理を介入させてはいけない。余計なことは考えず、その人をそのまま、圧縮せずに無加工で認識することだ。

 

そもそも枠なんてものは人間を簡単に理解できると勘違いした人、人間を楽にコントロールしようとした悪い人が作ったもので、元々人間は十人十色、みんな違ってみんな良いとはこのことだ。

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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今日は久しぶりに雨が降り、年末からずっと晴れ続きだったので少し安心しました。

2023/01/13

他人の痛みを知るのは難しい

  • いくら説明してもわかってもらえない、いくら説明してもらっても理解できないことはこの世に普通に存在する。いやもしかしたら、理解できていると思っていることも、実は理解した気になっているというだけで、この世の中のほとんどのことは理解できないのかもしれない。

  • 「私の気持ちなんてわかんないくせに!」という言葉は思春期の子供が親に向かって浴びせることで有名だが、この言葉はド正論である。「太陽なんて沈んでしまうくせに!」と言っているのと同じようなものだ。あなたの気持ちを100%そのまま理解することなんて出来っこない。

  • しかし、だからと言って他人の気持ちを理解しようと努力することを止めてはいけないと思う。「理解できっこない」ことを十分理解した上で、「出来る限り理解しよう」とすることだ。

  • そうしていると、たまにふと、全然関係ないタイミングで「ああ、あの子はあの時こんな気持ちだったのかも」と少し分かった気になる時がある。そうした小さな気付きを積み重ねていった先に、100%とまではいかないものの、他人の気持ちを多少なりとも汲み取れるようになるんじゃないかと期待するしかないのだ。

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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今日は19時からとある映画を鑑賞してきまして、帰り道の途中にあったファミレスで様々に思いを巡らせながらこの記事を書きました。

2023/01/12

朗報


朗報です。
わたくしこのたびなんと、2日連続で早寝早起きが出来ました!


「朗報」というタイトルでみなさん何を思い浮かべるだろうか。
宝くじに当選?出産?結婚?大会で優勝?

朗報は、「明るい内容の知らせ」らしい。となると、いま世の中で使われている「朗報」は本来よりもちょっとハードルが高いかもしれない。


逆に、どんなにちっぽけな幸せも、内容に踏み込む前に「朗報があります」と付け加えるだけで、聴衆の反応はただの「へぇ〜」から、「えっすごいね!おめでとう!!!」になる。

「朗報」があるかないかの違いだけなのに、なぜだろう。と考えてみて何となく答えらしきものが思い浮かんだ。「朗報」が付くと、本人が喜んでいることが事実として聴衆に伝わるからではないだろうか。


  • 「今日はよく眠れた」

そう言っただけでは、「ああこの人はいつもよく眠れていて、今日もいつもと変わらずよく眠れたんだな。へぇ。」と言う解釈になるのが自然だ。なぜなら本人の言葉から特にこれといった喜びが感じ取れないからだ。

その一方、

  • 「朗報、今日はよく眠れた」

と言うと、どうあがいても「おめでとう!!!」と言わざるを得ない。


しかし人間という生き物は、喜びを全面に出している人がいるだけで褒めずにはいられない。なんて優しい生き物なんだろう。

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朗報、今日も最後まで読んで頂く。ありがとうございました!